132 研究系及び研究施設の現状
電子状態動力学研究部門
大 森 賢 治(教授)
A -1)専門領域:原子分子光科学、量子光学
A -2)研究課題:
a) アト秒精度のコヒーレント制御法の開発 b) 量子論の検証実験
c) コヒーレント分子メモリーの開発 d) 分子ベースの量子情報科学 e) 強光子場非線形過程の制御 f) 高精度の化学反応制御
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) コヒーレント制御は,物質の波動関数の量子位相を操作する技術である。その応用は,量子コンピューティングや結 合選択的な化学反応制御といった新たなテクノロジーの開発に密接に結び付いている。量子位相を操作するための 有望な戦略の一つとして,物質の波動関数に波としての光の位相を転写する方法が考えられる。例えば,二原子分子 に核の振動周期よりも短い光パルスを照射すると,「波束」と呼ばれる局在波が結合軸上を行ったり来たりするよう な状態を造り出す事ができる。この波束は複数の振動固有状態の重ね合わせであり,結合の伸び縮みに対応した古 典的な運動をする。波束の発生に際して,数フェムト秒からアト秒のサイクルで振動する光電場の位相は波束の量 子位相として分子内に保存されるので,光学サイクルを凌駕する精度で光の位相を操作すれば波束の量子位相を操 作することができる。我々はこの考えに基づき,独自に開発したアト秒位相変調器( A PM )を用いて,二つのフェム ト秒レーザーパルス間の相対位相をアト秒レベルの精度で操作するとともに,このパルス対によって分子内に発生 した二つの波束の相対位相を同様の精度で操作する事に成功した。さらに,これらの高度に制御された波束干渉の 様子を,オングストロームの空間分解能とフェムト秒の時間分解能で観測する事に成功した。
b) A PMを用いて,分子内の2個の波束の量子干渉を100%のコントラストで完全制御する事に成功した。また,この高 精度量子干渉を量子論的な重ね合わせ状態の検証に応用した。同様に,デコヒーレンス検出器として用いる事によっ て,熱的な分子集団の回転位相緩和や固体中の光学コヒーレントフォノンの発生に伴うデコヒーレンスを検出する 事に成功した。
c) 光子場の位相情報を分子波束の量子位相として転写する分子メモリーの開発を行なった。ここでは,フェムト秒光 パルス対によって分子内に生成した2個の波束間の量子位相差をアト秒レベルの精度で操作し,これらの干渉の結 果生成した第3の波束を構成する各振動固有状態のポピュレーションを観測することによって,それぞれの光パル スの位相情報が高精度で分子内に転写されていることを証明することができた。また,フェムト秒光パルス対の時 間間隔をアト秒精度で変化させることによって波束内の固有状態のポピュレーションの比率を任意に操作できる ことを実証した。
d) 分子メモリーを量子コンピューターに発展させるためには,c)で行ったポピュレーション測定だけでなく,位相の
研究系及び研究施設の現状 133 測定を行う必要がある。そこで我々は,c)の第3の波束の時間発展を別のフェムト秒パルスを用いて実時間観測し た。これによって,ポピュレーション情報と位相情報の両方を分子に書き込んで保存し,読み出すことが可能である ことを実証した。振動固有状態の組を量子ビットとして用いる一分子量子コンピューターの可能性が示された。 e) アト秒精度のコヒーレント制御法を,強光子場中の希ガス原子の越しきい値イオン化過程に応用する事に成功した。 f) アト秒レベルの量子位相精度を達成したことによって電子励起状態を介した反応制御が可能になった。このような
反応制御の第一段階として,3原子分子での高精度波束干渉実験の準備を進めている。多原子分子は複数の振動モー ドをもっているので,e)で開発した位相変調パルス発生装置とA PMを組み合わせたシンプルな波束干渉を用いて解 離の分岐比を制御できる可能性がある。
B -3) 総説、著書
大森賢治 , 「アト秒精度のコヒーレント制御―分子振動波束への応用―」, 日本物理学会誌 59, 615–618 (2004). (招 待論文)
B -4) 招待講演
K. OHMORI, “High-Precision Molecular Wave-Packet Interferometry,” The 24th Physical Chemistry Colloquium, Sendai,
August 2004.
K. OHMORI, “Molecular Wave-Packet Interferometry: How Does It Work ?” Symposium on Control of Molecules and
Clusters in Intense Laser Fields, Tokyo, July 2004.
K. OHMORI, “Molecular Wave-Packet Interferometry: How Does It Work ?” Seminar at Université Paul Sabatier (Toulouse
III), Toulouse (France), June 2004.
K. OHMORI, “Sub-10 Attoseconds Precision in Coherent Control,” The 8th East Asian Workshop on Chemical Reactions, Okazaki, March 2004.
大森賢治 , 「High-precision quantum processing of molecules」, 総研大岡崎レクチャーズ:アジア冬の学校 , 岡崎 , 2004年 12月 .
大森賢治 , 「孤立分子のアト秒コヒーレント制御」, 第1回 原子・分子・光科学(A MO)討論会 , 東京 , 2004 年 7月 .
大森賢治 , 「アト秒精度のコヒーレント制御」, 日本放射光学会行事委員会企画 若手を中心としたワークショップ今後30年 の科学の未来像―放射光の役割― , 東京 , 2004年 7月 .
大森賢治 , 「アト秒コヒーレント制御」, 特定領域研究「強レーザー光子場における分子制御」第 5回 全体会議 , 東京 , 2004 年 5 月 .
大森賢治 , 「サブ 10アト秒精度のコヒーレント制御」, 物性研短期研究会「超高速レーザー分光における最近の発展」, 柏 , 2004年 2月 .
B -6) 受賞、表彰
大森賢治 , 東北大学教育研究総合奨励金 (1995). 大森賢治 , 光科学技術研究振興財団研究表彰 (1998).
134 研究系及び研究施設の現状 B -7) 学会および社会的活動
学協会役員、委員
分子科学研究会委員 (2002- ). 学会の組織委員
International Conference on Spectral Line Shapes国際プログラム委員 (1998- ).
21st International Conference on the Physics of Electronic and Atomic Collisions 準備委員, 組織委員(1999). The 5th East Asian Workshop on Chemical Reactions 組織委員長 (2001).
分子構造総合討論会実行委員 (1995). 第 19回化学反応討論会実行委員 (2003).
原子・分子・光科学(A MO)討論会プログラム委員 (2003- ). その他
平成16年度安城市シルバーカレッジ「原子のさざ波と不思議な量子の世界」. 岡崎市立小豆坂小学校 第17回・親子おもしろ科学教室「波と粒の話」.
B -7) 他大学での講義、客員
東北大学多元物質科学研究所 , 客員教授 , 2004年 4月 - .
C ) 研究活動の課題と展望
今後我々の研究グループでは,A PMを高感度のデコヒーレンス検出器として量子論の基礎的な検証に用いると共に,より自 由度の高い量子位相操作技術への発展を試みる。そしてそれらを希薄な分子集団や凝縮相,固体,表面に適用することに よって,「アト秒量子エンジニアリング」と呼ばれる新しい領域の開拓を目指している。当面は以下の4テーマの実現に向けて
研究を行なっていきたい。
① デコヒーレンスの検証と抑制:デコヒーレンスは,物質の波としての性質が失われて行く過程である。量子論におけ る観測問題と密接なつながりをもつ重要なテーマであるとともに,テクノロジーの観点からは,反応制御や量子情 報処理のエラーを引き起こす主要な要因である。その本質に迫り,制御法を探索する。
② 高精度の化学反応制御:アト秒レベルの量子位相精度は紫外光を用いたコヒーレント制御を可能にする。これによっ て分子の電子励起状態を利用した高精度の反応制御が可能になるであろう。
③ アト秒軟X線パルス源の開発と応用:強光子場中の高次非線形過程をコヒーレント制御し,効率の良いアト秒軟X 線パルス源の開発を目指す。これをアト秒時間分解分光に用いる。
④ 分子ベースの量子情報科学の開拓:高精度の量子位相操作によって分子内の複数の自由度を用いる任意のユニタリ 変換とそれに基づく高度な量子情報処理の実現を目指す。
これらの研究の途上で量子論を深く理解するための何らかのヒントが得られるかもしれない。その理解はテクノロジーの改 革を促すだろう。我々が考えている「アト秒量子エンジニアリング」とは,量子論の検証とそのテクノロジー応用の両方を含む 概念である。